基本、根暗で卑屈なうんこ製造機のひとりごと。
そういえば2015年秋にケイタイを変えたら電話帳消えました。番号は変わりません。「くるま。ぶっけた@ezweb.ne.jp」またはLINEで番号検索をどうぞ。

怒りと仲直り
2017/06/29(木) 12:36 うんこくさい日記

息子が発達障害(高機能PDD)で空気が読めないってのを分かってから、なるべく自分の感情を言葉で表現するように努めてきたと思う。

PDDと解かるまでは、本当に辛かった。
「なんでよその子ができているのに」「なんでこんなこともわからないの」って勝手に【息子理想像補完計画】を押し付けていたからね。
でも今は、それ自体が悪なのではなく、そういう性質を持った一人の人間で、私のほうが付き合い方を替えて、伝わるように発信しなければならないと、心を改めたからである。
そして、普段はPDDとかそういうのをほぼ忘れて、息子のひとつの属性というレベルまで容認している。つまり生活の一部。


家族だからこそ、一緒に笑うし、悲しむし、考え方の違いでぶつかることもある。
それでも仲良くしていたいと思うのだけれど、自分だけではどうしようもないのだ。
けれども相手に求めるばかりでも、どうにもならないのだ。
んが、要求を出さないと、そもそも何が問題なのかわからない。コレが【KY】なのであって、結局私自身が何かを提示しなければならない。

コレが結構疲れるようで、前回、やっちゃいけない怒り方を久しぶりにした。
【無視】である。


息子の失態は、即座に謝らなかったこと。
私の失態は、謝罪のタイミングの促しをしなかったこと。


いつも、私からタイミングを促すのです。
大体、私がイカる時は、その日のうちに、「この現症に対して、このような感情になり、悲しかったor間違っていると感じるので、私は怒った(不愉快に感じた)」と説明し、息子の心に訴えかけるようにします。
で、「だから謝ってよ」という流れ。

その説明が通じないことは滅多になく、そこは理解してくれるし、何度も同じことをしていないとおもいます。

ここで重要なのは、息子の心理で、彼自身が悪意を持ってやったことかどうかが問題になる。
悪意なしにミスで起きてしまったことは仕方ないと思えるし、ソレで怒ることはない。

んが、自分が楽をしたいがためであったり、言うと怒られるかもしれないことを隠蔽すると私は怒る。特に時間の制約に対しては隠蔽することが多い。

息子は、自分のやりたいことに対しての制限を課せられるのが本当に嫌なんだろうと思う。
しかし、好きなことばっかりやっていられないのが人生で、時間は管理すれば上手に使えるのに、それをしないで、隠蔽していることのほうが問題だから。

私はなぜ怒るのかというと、息子に対して嘘やごまかしをしたくないと思っているからで、実際に怒りの理由を説明するのも、心の透明感を維持していたいからだ。

もし、私が息子を嫌いであったり、かりそめの家族として付き合うなら、今のやり方ではない方法を取っているだろう。

嫌いならば、常に空気を読めオーラを出して無言で「察せよ」という態度だろうし、かりそめでいるのならば擬似的な優しさで事なきを得る方法を選ぶと思う。




んで、話を戻すと、いつも私から謝るタイミングを促していることに不愉快を感じてしまい、それをやらなかったらどうなるのか、見てみたかった。


やっぱり謝らなかった。6日間。
悲しくなった。

その間私は、無言を貫いた。

息子はケロッとしているようにも見えて、余計に腹立たしくなったので見ないことにした。


結局6日目でこちらから話しかけて問題は何なのか話し合ったのだけど。


「なぜこの状況になっていると思う?」
『俺が謝るのを待っているから』
「そうだね。私がこんな風に無視をしてて君は楽しかったかい?」
『嫌だった。辛かった』
「そうだよね。この状況になるまで問題を放置していていいのかい?」
『駄目だと思う。』
「次に私が怒ったら、君は何をするべきだと思う?」
『即座に謝る』
「そうだね。問題を放置していたら悪いスパイラルにしかならないってのは理解できたかい?」
『うん』
「私もやりすぎました。でもたまには自分から謝りに来てください」
『はい』


という事で、和解。
(何が怒りのきっかけかは息子の名誉のために伏せますが、信頼への裏切りだと思った行為があったから。)

怒りの原因と、その根源を提示しないと、問題の解決にはならない。


息子に自分の心情を説明するのは、まず自分の感情を理解していなければならない。
怒りに達するプロセスを静観しなければならないのだ。


怒りに達するまで、必ず何かが蓄積している。
その蓄積を知らないで過ごしていることのほうが多い。
だから怒りの原因を説明するのは、次に自分が同じことで怒らないためのプロセスであったりする。

怒る原因がわかっていれば、次にその蓄積が始まろうとするときに予防できる可能性が高まるからだ。

その上で、許容の範囲も増える気がします。
許すのは何も、ケンカのあとだけではないからです。

たとえば、普段の生活の中、靴下が裏返しで布団の足元に大量に転がっているとしても、ソレで以前に怒ったことがあるのならば、リミットブレイクが遠ざかります。
「また靴下落ちてるんだけど、拾って洗濯かごに入れておいて」って言えれば、相手も「あ、怒られる」と察知するし、その改善行動を起こしてくれればは怒りません。
(この場合の怒りバロメーターは大して大きくないけど…)

不愉快を感じた時点で「ソレやだ」って言えるだけでも、お互いに予防線が張れる気がします。



息子に対しての影響は、おそらく、パターンとして学習してもらい、将来他人との関わりの中で怒りに出会ったときの対処法の一つとして、身につけてほしいと思うのです。

空気が読めないとしても、ヒトはどのように不愉快に感じ、イカルのかを知っていると、きっと少しは役に立つのではないかと思います。



と、思います…


まだ見えていない物も多いのかもしれない。
言葉でいくら言ったとしても、心が100%通じるわけではないし、私自身が発している言葉が、本当に私自身の真相なのかは分からないけれど、言わないよりずっといい。


と思って生きています。
結構疲れる。

自転車のタイヤを買いました
2017/06/16(金) 8:46 うんこくさい日記

去年まるまる一年、自転車に全く触れていなかった。

半年前から体重が徐々に増え、一昨年より5kgも増えてしまったので、重たい腰を上げてチョット運動せにゃならん。つーことで自転車を整備して今年こそ乗ろうと思った次第。

一昨年の時点で自転車のタイヤがツルツルになっていて、いい加減タイヤ替えなきゃなぁ…と思いつつ、やる気と根気がわかず、腰痛も相まってしゃがんで作業しなきゃならんってのがマジ面倒くさかった。

(あと金もなかった)
(別に今年はお金があるって訳ではないけど)
(誰か金くれ)



タイヤと共にリムテープ、チューブも替えました。
今までゴツいタイヤだったのが700c×32っていうちょっとスリムに。
単純比較できないけど元からついていたのは29*1.75/2.35っていう数字が書いてある。
厚さは三分の二くらいに減ったかなぁ?
抵抗も減ったと思うので登坂はし易いだろうなぁ。



んが、んが、タイヤを変えてもマダ乗れない。
チェーンが茶色である。
う~ん。チェーンは替えたことがないし道具もないんだよなぁ…
表面だけどうにかできれば変える必要はないんだろうけど、さすがに外に出しっぱなしにしてたからぁ。

さらに面倒くさいのはブレーキと切り替えワイヤーがユルッユルなのだ。
ワイヤーを取り替えるのは全然面倒くさくないんだけど、それを調整するのが面倒くさい。
慣れなんだろうけど、どこがゴールでベストかが微妙にわからないので、何度も触る羽目に…
張り過ぎも駄目だろうし、緩すぎも効かないし。
自転車屋に頼むと一本3000円になるから3本だと一万円だ。
ワイヤー自体は一本100円くらいなのに…。その難しさが価格だろうなぁ…多分。

カネがないから自分でやるしか無いんだけどね…マダ買ってません。ワイヤー




自転車に乗る理由は楽しさの追求だったりするのだけど、その対極にはイライラが根源にあったりする。
ようするに去年は根に持つようなイライラは無かったことになる。


振り返ってみればそんなことはなかったような気もするし、今年はなぜこんなにもイライラしているのかと考えることすらイライラするので考えないようにしたいのだけど。



あと、本当に久しぶりにブログをしたためてみたら、文章がメチャクチャだなぁと思いました。
特に面白さもないし。

前までは一息にひと文章をかけていたのだけど、前回も今回もバックスペースキーをはさみはさみ書いている。
さらに読み直すと変な日本語になっている率が高い。(前も日本語のツナギがおかしいところがたくさんあったけど)

起承転結というか、説明の省略が多いというか。

文章に限らず説明力は上げていかなきゃいけませんね。
短く分かりやすく…

頑張ろう…

塩ヨーグルトでノン埋もれ毛・ツルツル肌
2017/06/05(月) 17:29 うんこくさい日記

久しぶりに更新してみます。
そういうときもあるよね。


夏が近づいてきたので、すね毛やらもも毛やらを脱毛器(ソイエ)で抜いています。
抜いたところで毛穴が黒くなっているので見せたいわけではないんだけれど、気分として夏の汗をかく時期にロン毛のすね毛とか不潔感しか無いので、抜くしか無いという謎の使命感があります。

で、脱毛器は超原始的で生えた毛を引っこ抜くだけなので毛穴のアフターフォローが必須になってきます。
まず、カミソリ負けほど酷くはないけれど、毛穴が膿んだりしますし、ほうっておくと、毛の成長とともに皮膚の中に毛が生えるいわゆる「埋もれ毛」が大量に発生してしまいます。それも結構深度のある場所にできてしまうと、血管が浮き出たみたいになって汚い。
それでピンセットやらで掘り出そうとすると、皮膚が怪我した状態になり、傷が治る頃には色素沈着してしまい、更に汚さが増してしまいます。

毛が出てこないまま皮膚の下で超成長することもあり、ソレもソレで汚いし、さらに触るとボコッっとするので気になります。
そのままでいてくれればいいのですが、その埋もれ毛が原因になって、巨大なオデキになることもマレにあります。



で、どうすれば埋もれ毛が防げるのか。

スクラブ入りのボディマッサージクリームで解決できるようですが、ぶっちゃけコスパのいいものがない。
洗顔料くらいのサイズで数千円するものも多いのです。
じゃあスクラブ入りの洗顔料でいいじゃない。ってなるけど、顔よりも足のほうが面積が大きいので、結構な量を消費することになります。


ぶっちゃけ、人に見せることもない部位にそんなに金をかけてられるか!!

と、Amazonを見ながら思ったのです。
(で、諦めていました)

ソレまで天然の粗塩を使って風呂場でゴリゴリしていたのですが、重力に負けるので大した効果が得られていなかった…と感じました。

トリプルカラーで閃いた。

最近、美容師さんのご厚意で脱色二回ヘアカラー一回(トリプルカラー)をサービスしていただきまして、頭皮がマジヤバイくらい痛みました。
薬剤で皮膚組織を壊されて、ボロッボロに皮膚が剥がれてきました。(グロ)
なんていうか、ポテチの袋の底にたまったクズみたいなやつが頭皮から延々と落ちてくるような?


アフターでもう一度カラーリングを修正していただいたときに、
「皮膚組織って8重くらいになっていて、徐々に剥けていくんだけど、今回は5層くらい一気に剥けちゃったからね~HAHAHA~」

って言われ、チョット納得しました。
一週間後にはもう死んだ皮膚組織が落ちてこなくなったので、新陳代謝のルーチンはだいたい一週間くらいと言われていますが、なるほどそのとおりだなぁと感じました。




埋もれ毛が発生する理屈を考えたら、皮膚も毛も徐々に成長していきます。
皮膚は何層もの表皮でできているので、毛の生えるタイミングとともに皮膚の代謝を上げていけば毛がうまいこと埋もれずに生えてくるのではないかと思った次第。

毛はだいたいひと月に1㎝伸びると言われています。なので、埋もれ毛が5mmだとすると、二週間後に表皮から出ていなければなりません。
んが、そうならずに皮膚の内側に埋もれてしまうから、問題が発生してしまう。


 で?なんで 塩ヨーグルト

やっとタイトル回収


結論から言うと、肌の新陳代謝を早めて、水分補給を外側から補うのと毛細血管の刺激を与えると、新陳代謝がスムーズに行き、埋もれ毛発生率を格段に下げられることがわかったので、塩とヨーグルトを週1ペースで使うと良いと思いまして


粗塩でマッサージすればスクラブと同じような効果が得られるのだろうと思いますが、先にも述べたように、重力に負けるし、マッサージを終える前にポロポロと落ちてしまうので、大量に使うことになります。ちょっと見えない場所のサビとか気になっちゃうじゃん?なんかエコじゃないじゃん?
で、どうしたら粘度をあげられるか考えた。

ちょうど冷蔵庫にプレーンヨーグルトがあったので試してみると素晴らしかった。

分量(全身分)

粗塩 カレースプーン山盛り1ぱい
プレーンヨーグルト 同上


あとは均等になるように混ぜる。
おしまい。

塩は精製塩ではなく、天然塩のほうがミネラルが豊富で皮膚のガード作用を上げてくれる成分が多いのでオススメです。しかも安い。
博多の塩や赤穂の塩などなどが良いんじゃないでしょうか。

直立できるマグカップ的なモノのほうが風呂場でそのまま使えるので便利です。
カレースプーンも風呂場で使っちゃいます。

使用方法

風呂場で体を洗う前に使います。
理由は、残留した石鹸カスを開いた毛穴に刷り込むことになるので、余計に肌荒れになる可能性があります。
お湯で体の汗を洗い流してから、スプーンの先少しだけすくい、手に取り、必要部分に手で揉み込みます。



揉まずにすぐ流すと、逆に皮膚がザラザラします。

つけた直後は、塩はゆい感じになりますが、すぐに収まります。
そのご、少し温たかさを感じますが、それもすぐに無くなります。そうなるまでクルクルとマッサージします。

さらにその後、少しだけ皮膚がヌルヌルしてきます。ヨーグルトの乳脂が皮膚と馴染んだ証拠でしょうおそらく。
そこまでなれば、洗い流してオッケー!


マッサージ後はお湯で余分な乳脂を洗い流し、温めの水で毛穴を引き締めます。
必ずしっかり洗い流さないと、塩が残ってしまい、乾燥して痒くなる原因になりますので念入りに!


石鹸で体は洗いません!!!なぜなら、皮脂が塩で洗い流されてしまっている状態なので、それ以上過度な刺激を与えると、乾燥肌を招きます!
一度使用してみるとわかると思いますが、かなりヨーグルトの油分と塩の浸透圧で水分が保持されている状態になるので、なるべくそれをキープしてお肌を優しく扱ってあげてください。




洗い流した瞬間からツルッツル!!
騙されたと思うくらいツルッツル!!!

しかも、アフターケアなしに、一週間はツルツルが維持されます。
逆に、使用直後にボディクリームを使うのは塩ヨーグルトの成分と喧嘩することもあるので(なった)、皮脂が分泌される翌日以降に使うのが良いと思われます。


顔に使う場合は、目や口に入らないように気をつけてください。
美味しくないしショッパすぎるし、マジ目があきません。
でもビックリするほど突っ張らないのでやってみる価値はオオアリ。


足の指やワキなども有効です。
余分な皮脂汚れが落ちるので、匂い予防にもなります。


お風呂上がりは、バスタオルでゴリゴリ擦らず、押さえつけるように水分をタオルに移します。
こするとせっかくの成分が禿げてしまうので。
水に濡れた皮膚は敏感です。擦らないで優しく撫でるように扱います。


揉むのは面倒だというあなたへ。

浴槽に入浴剤として、上記の分量を入れても、似たような効果が得られます。
結構ツルツルするので、時間のない方にもオススメ。
風呂上がりにはしっかりシャワーで洗い流してね。

さらに、排水口の皮脂汚れの分解にもちょびっとだけ効果があるきまします。チョットだけ。

使い方の注意事項

よく揉まないと、逆に皮膚にゴミが残って毛穴が詰まります。そうなると白ニキビのように毛穴が盛り上がります。そうなったときはもみ方が足りないという証拠です(←なった


お肌の弱い方はいきなり使用しないで少しずつ試してみてください。

牛乳アレルギーの方は絶対に使わない。責任は取れません。自己責任でお願いします。


頻繁に使わない
塩にもヨーグルトにも強力なピーリング効果があります。
必要以上に皮膚を剥いでしまうと、皮膚本来が持つ外敵からのガード機能が失われてしまうので、毎日のように使ってしまうとゾンビ化もありえなくはない!!(多分)
使用間隔は10日以上あけるようにしましょう。
(顔や頭皮は代謝速度が高いけれど、足や腕はそんなに早くはありません。過度な使用は控えましょう。)




そんくらい

前まで塩のみでやってたんですが、こんなにツルツルしません。
ヨーグルトの油脂成分、ピーリング効果はかなりのものだと思います。
塩オンリーより粘度が増すので扱いやすさもあります。


面白いほどつるつるします。
とくにトイレでパンツを下ろす時、太ももがつるつるしてて面白いです。
あと腹。


埋もれ毛はどうしても発生してしまいますが、深い部分での発生が激減しました。
薄皮の下に埋もれているのが見えるので、「そのうち表に出るだろう」という安心感もあり、引っ掻いて取り出す事もなくなりました。


あーなんて良い発見をしたんだ私。天才。よしよし。
自己満足。

”お父さんのパンツは汚い”理論
2016/04/14(木) 12:26 うんこくさい日記

最近パソコンを触っていない。
なぜならば、愛してやまなかったオブシディアンとえいぞーを装備しているメインパソコンは息子が手あかまみれにするほど使い込んでいるからだ。


親子仲はいいほうだと思う。むしろ、息子がマザコン気味だと言い切ってもいい。

けれども不思議なことに、私から息子に対しての嫌悪感というのが存在する。
年頃の娘さんが「お父さんのパンツと一緒に洗濯しないで!」というソレに似ている。

私は年頃の時に、実家で洗濯物をしたことがないからわからないけれど、たぶん、女としての本能のなかに、同じ遺伝子を持つ異性に対しての警戒心が植え付けられているのだと思う。
本当に汚ければ問題だろうがたぶんお父さん本体は泥まみれだったりしないはずだ。

じゃあ何が嫌なのか。
汗であり、においであり、皮膚から出る老廃物である。
この理論からいえば、風呂の共有も嫌がられる。お父さんが先に入ると浴槽にはお父さんの老廃物がたくさん浮くことになり、年頃の女の子が清潔にしようと思っても、浴槽は汚染された状態だと感じてしまう。
洗う場所なのに汚い。洗濯機も浴槽も、間接的にお父さんが触ってくるという、近親相姦のような禁忌を回避する為の本能的な嫌悪感なのだ。


年頃の女の子が嫌がるもの、それはお父さんの分泌物であるといえるだろう。
それが嫌だという理由を理解できないお父さんの嘆きは、もはや伝説的にぼやかれ続けている。

意味もなく「キモイ」「汗臭い」と言われているわけではない。
それはもはや本能なので目に見える理由はない。
ゴキブリと一緒なのだ。いやお父さんをゴキブリ扱いしているわけではなく、ゴキブリは人間が嫌うホルモンをだしているので、だれしもゴキブリに対しては嫌悪感を抱くのと同じなのだ。

つまりお父さんのパンツが汚いという感情はゴキブリに対しての感情と同じなだけであって、「お父さんがすなわちゴキブリ」という意味にはならないというところに留意していただきたい。


女性のほうが嗅覚が優れているという。
それはどの遺伝子を身ごもるべきか、においで優性遺伝子をかぎ分けるともいわれる。

お父さんは自分の半分の遺伝子を持っているから、より優れた遺伝子を残すのには、不適切な相手だというのを、ミトコンドリアが指示しているのに違いない。
優れた相手というのは、遺伝子的に自分と違う部分が多いモノのほうがいいという。
病気に強い、肉体が優れている、頭が良い、などなど、においで分かっちゃうんじゃないかなぁ。


要するに、お父さんの分泌物を汚く感じてしまうのは、本能が家族同士で子供を設けないようにするための危機回避行動なのだということであって、肌をすり合わせなければ、精神的なつながりは保たれているので、そうそう落胆することでもない気がする。
逆を言えば、嫌悪感を彷彿とさせるほど、身近な存在だということなのだろうと思う。


そして我が家の例である。
私は息子の触ったパソコンに触りたくない。
なぜなら、目に見える手垢がついているキーボードやマウスに触りたくないからだ。
気 持 ち 悪 いと声に出して言える。
もちろん、椅子にも座りたくないし、その辺に停滞している息子のにおいにも近づきたくはないからだ。

触られるのもいやです。まじで。
でも私は息子の金玉を触りたい。

部活で汗まみれになったジャージは頭が痛くなるほど臭いし、脱ぎたてほやほやの衣類を触るのは嫌すぎるが、衣類を一緒に選択するのには抵抗感はない。

でも息子の入った後の浴槽には浸かりたくない。

自分のうんこがうっかり手についてしまっても、別段問題はないが、息子の飛び散った小便を拭くのはすんごく嫌だ。

年頃の女の子と同じ現象が、もうちょっとでアラフォーになる私に起こっている。


これは、息子が二次性徴を迎えてから感じるようになったことだ。
それまでは別段問題は感じていなかった。

いまその「きもちわるさ」を感じるにあたって、どのような心理が働いているのかと考えると、それはまさに異性であるから、その恐怖心が拭いきれないという部分がある。
二次性徴を迎えて、遺伝子を残す機能が発達したオスになりかけている。
もちろん彼らにも理性はあるだろうが、子孫繁栄が可能な年ごろになったというのは事実である。

その標的が自分になることはないだろうが、それでも「近寄らせないのが良い」と本能が言っているので、ソレに逆らうことはできない。


というわけで、私が息子を気持ち悪いというための正当性を示してみました。おわり






冷戦勃発中

とみせかけて、まだ続く。
わたしは最近、受動的にしか動けない息子に腹が立ちます。

それは息子の特徴でもあるのかもしれないけれど、生活の中の必要最低限なことを自発的に行動してほしいという親の願いでもあります。

私は焦っています。息子が大人になって旅立つ日が近づくにつれ、このままでいいのかと。
もう目前にまで迫ってきている気がするのです。
それでも息子の心情やペースを見ながら、フォローする側に徹してきたと思う。

口であれこれやかましく指示するのではなく、納得させる説明を心掛けてきたつもりだ。

しかし、それを甘く見て、息子は私をなめてかかっている。
それがムカつく。
感謝されたり、謝ってもらった事がない。
それでも私は息子の生活に対して一生懸命だ。
私は相手の気分を害したら謝るし、やってもらったら感謝する。それは息子に限らず、だれでも平等に行う。
嫌いな人にでも、お礼くらいは言いますよ。

でもなんで私は息子に謝ってもらえませんか。。。
それが悲しい。

「相手を怒らせたら、謝るのは小学生でもわかることじゃないですか。」
っていったら、扉の陰から腹立たしげに
「す、み、ま、せん でしたぁ~!」
って言われて、逆に揚足を取られました。


「私はつくづく思ったよ。”言いたいことはわかるがお前の態度が気に食わない”ってのは正論だなぁって」


言い放つと息子は床を大げさに音を立てて歩いた。
私はさらに静かに怒りを抱えた。


私の怒りは爆発せずに、怒鳴りもしていない。
これ、珍しいことです。
普段は何事もなかったように、次の瞬間には気分を元に戻すようにしていたのだけれど、それだから舐められるんだろうと思ったからです。

怒ったとしても一喝して強制させ、そのあとに私自身は感情を引きずらない。ネチネチ言わない。
息子が次から怒られなくなったら褒めるようにする。
というのがここ一年のやり方でした。


この静かな怒り方は、起こらせた人が自発的に謝罪行動を起こさなければ静まることはありません。
そして私は宣言しました。
「お前が謝罪するまで、私は一切の手伝いを放棄します」と。

帰ってきてからどうなるか。
んーこれをネグレクトというのなら、まぁそうなのかもね。児童相談所に通報してください。
私自身もこの怒りをどこに向けて、どう関係を修正していいのかわかりません。

息子ももう大人なんだから、重大な事案になる前に、さっさと謝ることを学んでほしいものです。

1: くそ気持ち悪いババアしね 『気持ち悪いババアだな スカイリムやっててたどりついたけど 勝手に女全体の意見にしないでくれう気持ち悪いんだよ  きもブスババアが...』 (2017/01/15 2:25)

2: 阿部 『素晴らしく熱意だけは伝わってくる文章量ですね。 全部解読する気力は湧かないけど、言いたいことはなんとなくわかった。 が、私にはど...』 (2017/01/29 21:57)

東日本震災後5年
2016/03/11(金) 18:14 うんこくさい日記

もう五年も経ったのか…

マグニチュード9.0という超巨大地震。その後すぐに13メートルという常識では考えられないレベルのパワーを持った津波。
その被害で甚大な後遺症を残した原子力発電所メルトダウン。



あの日。
普段テレビをつける習慣がない我が家でも、その時ばかりはニュースに釘付けだった。
ちょうど札幌でも震度3程度の軽い長い揺れがあったから、何処が震源なのかというのを知ろうと思ったのがきっかけだった。

震源は北海道ではなかった。津軽海峡を隔てた向こう側、宮城や福島県など東北地方南部の地震速報が流れた。


「え、まさか、そんなことはありえないだろう?」と思っていた。
札幌で感じる地震の殆どが北海道の南中央にある十勝沖のプレートによるものだ。まさか東北から地震が伝わってくるとは思えなかった。

でも、どうやらその震源からの揺れが伝わってきたものだと思わせたのは、東京などの首都圏までもが揺れていると生中継があったからだ。
札幌から宮城までは直線距離にしても500km以上もある。同じように、宮城から東京までは直線で300kmはくだらないだろう。どうやらすべて、同じ地震のようだった。

大地震のざわめきが収まるまもなく、大津波警報が出された。
テレビは緊急特別番組に変わり、アナウンサーはしきりに震源と震度をひたすらに伝え、津波の地域の人達に高台への避難を促した。
冷静さを少し欠いている生のアナウンスが緊迫を感じさせた。
テレビの中の遠くの方で聞こえる耳障りな機械音は、気象庁の緊急避難速報を通知する音なのだろう。それを元に各局がニュースを出している。

怖かった。怖い予感がぞろりと肌を撫でたと思う。

アナウンサーの切迫感は、まさに緊急を要するものだと思わせた。
じきに沿岸部に到達した波が映しだされた。
港の、船と人の足場になる海に沈んでいるコンクリート壁と、その横に設置してある鉄筋2階建て駐車場だったかが中継で映されていた。

最初は津波が来たのかわからない程度で水かさが増えていった。
その上昇量は勢いを衰えず、気がついた時には駐車場の1階天井に到達しそうな勢いだった。
濁った泥水は車を浮かせていた。

空撮ライブ中継では、先程まで車が走っていた道路は波に覆い被されて何がなんなのか判別できなくなっていた。最初の水かさの増量からは考えられないくらい、鉄砲水のような早さとパワーになっていた。
誰かの一軒家が、屋根と2階の一部分だけ水面に出して、鉄砲水とともに遡上していく。それも一軒二軒ではない。
誰が想像できただろうか。普段の住まいが根こそぎもぎ取られて車と同じ速度で移動するなどと。
家と家、車と車、波と波。使い終わった割り箸を折ったような、それをいくつも重ねたような、そんな木の柱が。電柱が、車が…。


インターネット上でも市民撮影の津波動画がたくさん見ることができた。
そこには沢山のリアルがあった。
人々が恐ろしい目に直面している、そのリアルが。



そして原発事故。これは観ている側からすると、苛立ちしか感じなかった。
当時の枝野官房長官は「直ちに影響はございません」としか言わず、逆に不安を煽った。
その時、福島原子力発電所の炉内では何が起こっているのかという発表会見をしなかった。
最初はただの火事みたいな事を言っていたように思う。でも炉心融解して核燃料棒の制御が効かない状態になっていると発表していたのは、民間のワイドショーだった。

チェルノブイリ事故が思い返された。あそこは30年たった今も近隣に人々は住んでいない。元原子力発電所とそれを支えるはずだった住宅地は森に飲み込まれようとしている完全なる廃墟になっている。


私は、日本もそうしなければならないのではないかと思っている。
福島第一原発事故後、未だに付近には立ち寄れない事になっているが、政府はしっかりとこの先何年後も立ち入ることは不可能だということを公言しなければならないと思うし、更には数百年に一度の大津波があると言われている地域を復興してまで住まなければならない理由が無いと思う。


「教訓を~」とは言うが、宮城県の気仙沼で津波に被災した時の口伝が残っている。
にも関わらず、そこに居を構える。
そして人々は忘れ、数百年後に予想もしない巨大なエネルギーに襲われて悲しむのだ。
なんかとっても矛盾している気がするのよ。
確かに、今なう、そこで育った人達が、地元復興に力を注ぎたいという気持ちも分かる。地元愛やら、得体のしれない正義観やら、あるいは回帰心かもしれない。
もちろん住みたいのならば住めばいいとは思うが、自分たちの子孫が、また自分たちと同じ目に合うという事を考えたら、私は安易に復興したいとは思えない。
街がなくなるという絶望感は被災していない私達にも容易に想像がつく。

元に、地元の方々は津波が来るという教訓から、さんざん避難訓練をしていたと聞く。防災対策も行い、準備万端だったのだろうと思う。
けれども防波堤は乗り越えられてしまったし、家財も資産も思い出も失った。

絶望感は想像できるが、実際に自分がそうなった時の心中までもは想像がつかない。だからこそ恐ろしいことだと思う。

今、高台を造成して、その上に居を構えるようにするみたいだけれども、次の津波はそれをも超えてくるかもしれない。
あるいは、土台が崩されて、また作りなおすことになるかもしれない。
数百年に一度とは言うが、もしかしたら100年間に2回来ることになるかもしれない。
プレートの動きは誰にも予測できない。そしてそのパワーの強大さにも対抗できる完璧な手段は無いだろう。
私の中での教訓は「そこに住まないこと。命の連鎖を紡がないこと」だと思う。

復興して人が住める環境が整ったとしても、放射性物質の汚染区域には誰も戻りたがらないだろう。
それが数キロ先にあると思えば、立ち入り禁止区域以外の人達も大手を振って返ってくる事はないんじゃないかと思う。

そうして予想されるのは、無駄に造成された高台が、守るべき者もなく佇み、維持費がかさみ、負債だけが増えていく未来だったりする…
それって、どうなのだろうか…って思っちゃう。
そのへんは賛否両論だろうけれども…少なくとも余所者の私はそう思う。
頑張るのは良いけれど、人の協力なしにして頑張れているのかというと甚だ疑問であったりします。
地元復興したい地元人は酷な未来を選んだのだから、私は協力したくはない。



その一方で住まなくても良いという選択肢があっても良いとは思う。
そして、それは批難されることではないと思うし、被災地以外の地方自治体は、被災者の勧誘に全力を尽くしても良いと思う。

特にど田舎タウンでは、人が足りていないのだし、札幌だって公団住宅が空き家だらけの地域がある。(新さっぽろとかね)
札幌の被災者の住宅援助は来年の春で打ち切りになるのだという。
それは悲しいことではないか?
帰る場所がなくなったのに、5年で心のケアと生活基盤を元に戻せというのは、非常にコクなことではないか?と思う。



偉そうに事を述べてみますが、被災のみならず、人生は何処で何が起きるかわかりませんね。
頑張るタイミングと、頑張らないタイミングの見極めって難しいなぁ。と思う昨今です。

亡くなられた方のご冥福と、被災された方の心の立ち直りを心から祈っております。

わかった気がするおかあさん13年目
2016/02/16(火) 22:36 うんこくさい日記

よくよく考えてみたら、お母さんの13年目。
やっとこさ親子のコンディションがマトモになってきたと思えた1年だった。


よく、教育界隈で言われるのは「叱るよりは褒めて育てたほうがいい」と言う。
ただ、残念ながらそれを素直に実行できないことのほうが多い。
簡単にできないことだからこそ、口伝されるのかもしれない。

あるいは、最初から簡単にできている人もいるかもしれない。
意識せずとも、そのスキルを身に着けている人もいるかもしれない。
でもきっと、私のように「やりたくても上手にできない」人も多いと思うんだ。

思い返せば、私の腰よりも小さい息子に対して、怒鳴ってばかりいた気がする。
やっと私と同じ目線になって「素直に褒めること」が出来たのではないかと思う。
逆に言えば、それまでは彼の存在を否定し続けていたのかもしれない。
その彼の心中を察するまでに12年間かかったとも言える。


やり方が分かったのは、成長の過程で結果に出てきたから修正しようと変えたからかもしれない。
人生は積み重ねであると思う。その途中経過だけ見ても将来の展望が分かるわけではない。年数が少ないと更に現状がよく分からなくなることだろう。
私が気づけたのは、息子がヒネクレ始めたからというのが大きいかもしれない。


そしてそのヒネクレの原因は何処にあるのかというと、私自身にあるのだと気づくのだ。

何故「褒めながら育てる」必要があるのか。
それは無条件に甘やかすことではない。私も甘やかすのが嫌だったから、厳しくしつけていたのだと思う。
しかし、そうではないのだ。「甘やかす」のではなく存在を「認める」事が必要だった。

彼の心のなかには「自尊心」が欠けてしまっていた。それは何をやっても怒る私がいたからだと思う。
息子の融通の効かなさもあったかもしれない。
場合によって使い分ける柔軟性や、指摘内容の細かさが判断できにくかったのだと思う。
母にすら認めてもらえないと、自分で自分のことすら認められないのではないか。否定され続けていたら、身の回りのすべてのことを否定するしか出来ないのではないか。
夢も希望もあったもんじゃないのではないか。

そうなった時、自我や他人とのバランス、将来への展望性、自立した時のメンタルの維持方法なんかが、上手にできなくなる。
私のように、今生きていること自体が辛いと感じながら生きていくことになるのではないかと。
そう思いながら生きるのはラクなことではない。そう思わせながら生きてもらうのはつらすぎる。

実際にその徴候が出始めた時点で、私は我に返ることができたと思う。
やる気がでないとか、学校行きたくないとか、すべての物事をネガティブな言い訳で回避しようとするその姿勢は、私そのものではないのだろうかと。


親は子供をコントロールして良いのではない。
シツケというコトバにかこつけて、強要していてはイケないんだと思う。
良い行いをするように強制してもいけないし、お手伝いを命令をしてもいけない。
人間は命令されたり強要されたりすると、やる気が出なくなる。その上、自発的に物事に取り組まなくなる。

逆に言えば、誰かの命令なしには何もできなくなるし、常に反発心を持っていて、物事の取り組みに納得しなくなる。

そうならないために、自発的に行動を起こさせるには、まず大根底には、「あなたならできる。信頼していますよ。」という態度の表れが必要である。
失敗しても笑って許せるおおらかな心も必要かもしれない。
そのルーチンは息子の心にも余裕をもたらす。

今までは「成功しないと怒られる」という刷り込みがあったために、失敗を恐れて行動を起こす前にネガティブ感情に支配されていた。
今では「頑張るタイミングはここしか無いんだ」「やったら良い結果に恵まれる可能性が出る」と自発的に取り組むようになりました。


もちろん、行動を起こさせるのには、ポジティブな丸め込みの口先が必要ですが、それには彼の立場に立って、彼の一寸先の未来を提示してあげることで解決します。
要するに、一緒に考えること。
自分にも成長期があったし、同じ時期に抱えていた不安は似たようなものだと思う。


私達親子は、多分他所から見ても大変仲の良い親子だと思います。
それは、歩み寄りがあったから。
親子にしかできない、信頼を作ったから。
息子に自分の弱音を吐けるようになったからだと思う。

親という漠然とした存在ではなく、1人の人間として、「親らしく居なければならない」という固定観念を捨てたところから、親子になったかもしれない。



「ほめて育てたほうが良い」というのは、甘やかすことではなく、認めること。
「認める」のは諦めや見下しではなく、信頼を寄せることです。
それが分かるまで、私は相当苦しんだと思う。
言うことを聞かせようと、息子をコントロールしようとしていた私にサヨナラできたのは、大きかったと思う。

息子も変わるのだから、親も変わらなければならない時期なんだろうと思う。


という、何となく。後に続く未来の思春期のお母さんへ次ぐ…

私は素敵な人です
2016/02/10(水) 15:30 うんこくさい日記

ふふふ。
「アベさんって素敵な人だと思います」って女性に言われました。
ふふふ。
「周りの人もそう思っているとおもいます」って同じ人に言われた。
ふふふ。

あ、別にその女性は私に物を売りたいとか、宗教に入れたいとかそういったやましい気持ちがある人ではないですよ。

ふふん。だがね、だがしかしね、私は人と会ったりしないので、周りの人が私を評価する機会は無いと思います。
はぐれメタルよりも逃げ足が早く、回避率も高いと思うので。

いいところ、通いのコンビニ店員くらいじゃないですかね。
(あ、またあの派手なジャンバー着てる人がお菓子を買い込みに来た)って思ってるんじゃないですかね。
変なアダ名とかついてそうだよね。オカマとか中国人とか。
ちょっと聞いてみたくなるよね。そういうの。


ともあれ、私が素敵な人だったとして、それが生かされていないのはエコではないと思うの。
じゃあ、エコになるようにすればー?でもどうやってー?
はっっはっっっはあああ


その女性、我が家に上がりまして、一緒に紅茶を飲んでいただきました。
みゆちゃんからもらった、九州素材をふんだんに使ったフィナンシェをお茶菓子にして、本来の目的ではないお話ばかりさせていただいて。

アールグレーをさっぱり目で出して、渋みを出さずにいい匂い。砂糖は入れなくても和茶のように甘味と旨味が広がり、イイカンジ。
そこへ来て、バターの風味とナッツと砂糖のパリパリ感のあるカステラのようなフィナンシェは良かった。
みゆちゃんの優しさをパクパクぺろんちょフヒヒwwww

偶然とタイミングは大事です。
調度良く戴き物のお菓子が有り、最近紅茶に目覚めた私のアレと、外が猛吹雪なのと、我が家の掃除の結果が重なったので、私のアレがアレで、女性を喜ばせることが出来ました。

たとえお世辞だったとしても、笑顔が見れてよかったよかった。
みゆち、ありがとう。

1: みゆ 『ふへへへへ!お役にたってよかったです(੭ु´͈ ᐜ `͈)੭ु⁾⁾!ますたんは気配り上手な素敵な女性( ・`ω・´)』 (2016/02/10 15:46)

2: ave 『本当にありがとう。さっき九州しょうゆポテチ食べたけど、美味しかった!コンソメパンチみたいな風味だけど、にんにく玉ねぎの嫌な味がし...』 (2016/02/10 18:37)

「オトシヨリ」という生き物
2016/02/05(金) 10:47 うんこくさい日記

私は「お年寄」というモノが好きではない。
よく見る嫌いな奴はバスの順番が守れないトシヨリだ。

そういう、前に並んでいる人の権利を無視して、横入りや座りたいがために他人のすきを突いて椅子にねじ込むように入っていくトシヨリは嫌いだ。

そうでなくとも、トシヨリは優遇されているだろうに。
札幌市の場合は交通費が10分の一になるくらいの免除制度がある。
バスなどの公共交通機関にはトシヨリ専用とも言える座席がある。

かといって、年配の方々が全て嫌いというわけではない。
ハツラツとしてらっしゃる70代の方々なんかは、お話していても尊敬できるし、むしろ一緒に遊んでくださるのがとてもありがたいことだったりする。

それ以上になるとボケに進行してしまう事もあるけれども、それでも可愛らしさがあったり、楽をしたいがために己の欲求を全開にしたりはしないので、嫌いではない。


多分、私の嫌いなトシヨリは、そういうトシヨリだからこそ好きなことをやっても良いと思っているモラルの欠けた人が嫌いなんだと思う。
そして、私が思うところ「トシヨリ」というカテゴリーに突っ込まれた人たちは「面倒くさいから関わり合いたくないし、トシヨリってことにして隔離しておけば安心だ」という可哀想な人達なのではないだろうかと思ったりすることもある。


バスの中、私だって腰痛持ちだし常時貧血だし、体調が万全というほどではないし座っていたい。
ガラガラで空いていれば座る。ちっとも空いていないなら素直に立っている。
途中でトシヨリが乗ってきたら、その人柄を見て譲るかどうかを決める。
大体自分勝手なトシヨリは、「自分はこんなに弱者なのにどうして席を譲らないんだ」というオーラを出している。目つきや身振りで何となく嫌な雰囲気を出していたら、私は絶対に譲らない。

どうせバスや地下鉄に乗っている時間は一時間もないのだから、そこまで必死に席に座ることに固着しなくてもいいんじゃないですかね。って思う。それは自分自身に対してもそうだけど。だから立つと決めたら、目的駅まで座らないことが多い。
どうしても、途中下車していった人の席が空いた瞬間に、尻を滑りこませるせせこましさが醜いように見えてしまうのだ。
そもそも間接ヒップの熱がまだ残っているところに座るのはなんか微温くてイヤじゃないか?www

同年代の人は仕事や子育てに忙しく働いているはずなので、そういう人に席を譲るべきなのではないかと思えたりすることもある。
道楽でデパートやら習い事で疲れているジジババどもにバスの座席を譲るくらいなら、発展性や生産性のある若い人たちをいたわったほうがいいんじゃなかろうかと。

たしかに習い事で経済を回しているオトシヨリはまだマシかもしれない。
それでもなんかすきになれない。
ぶっちゃけ、年寄りのほうが多いのだから、若い人たちを大事にする制度があってしかるべきな気がします。

あるいは、トシヨリ優遇制度の完全撤廃をすべきかなーと。
だってそうしないと労働力、出産力という面で見ても、大事にされるべきナニモノもないのに何故優遇されているのか理解できない。
単に長生きをすれば良いのならば、一生仕事も結婚もせずにその御年になられた方と、日本経済を動かし支えた人たちとの区別ができない。
後者は大事にされてしかるべきかもしれないが、前者は一体どうなのかと思う。


少子化問題は大きな問題で、今後ますます日本の労働力がなくなっていくことになる。
トシヨリを大切にする政策よりも、女子供を手厚く保護し、労働力がストレスなく発揮される社会環境を作るべきなんじゃないかと思う。

中国の一人っ子政策が撤廃された理由は、働き手の老齢化が深刻化している点があるが、日本の場合は退職制度なんかもあって、老齢化するまえにデッドストックだけがどんどん増えていく恐ろしい現状がある。

そして慣例的に、その年を迎えた人たちは、隠居ないしは第二の人生と言われる生活転換期が来る。
でも待ってよ。その人達だって充分な労働力よ?
その辺が大きく矛盾していると思うの。その年まで働き続けてこれたのならば、知識や知恵の蓄積は大きなもので、それを若手に引き継ぐことなく隠居していくというのは大変もったいないことだと思います。
知識や知恵の蓄積というのは、なにも特別な技術面だけではなく、メンタルの維持の仕方やフトコロの大きさであったり、本人がなんともないと思っているものは実は若者から見たら異世界だったりすることもあるのだから、それを秘めておくのはズルいと思ったり。

私個人としては80歳くらいまでは準労働力だと思っている。
直接、営業や設計や肉体労働をしなくても、それらを行う現役の労働力の力添えになる事は間違いないだろうと思う。

ただ、この現代社会の慣例的に、なぜだかそれは受け入れられない。
トシヨリは面倒くさいものだと認識されているし、弱ったトシヨリは無条件で優しくしなければならないとか、そういう目に見えない壁を自ら作り出している。


年金をアテにした生活をしなくても良くなるという選択肢が生まれれば、年金問題は小さくなるし、若者サポートに充てる予算も増えることだろう。

そのジェネレーションの壁を取り払うには、今行きている私たち自身の偏見をなくし、高齢の方の参画意欲を増す事をしなければならない。

その一方で、札幌の山裾の高齢化の進んだ住宅地で、年寄専用とも言える循環バスが発足した。買い物や病院に行き来しやすいように停留所以外でも乗り降りできる専用の循環バス。簾舞は確かに丘や絶壁が多く、隣に国道がある(でも高低差15メートルの壁)なんてのもアチコチにあるから、なるほどなぁと思った。
これは良い意味での区別で、需要にマッチしているので素晴らしい制度だと感じました。


何を書きたいのかよくわからなくなったけど
「オトシヨリ」っていう言葉は昔から嫌いであった。
いまだにその嫌いでいる理由がよくわからないんだけど、多分、ただ単に年をとっただけで別の生き物みたいな言い方が嫌いなんだと思う。
実際に別の生き物みたいなトシヨリが多くいるのも事実だけど、そればかりではないのだよね。
逆に「お年寄だから」という理由で親切にするのは失礼だと思うの。
普段から親切をデキる人は「相手で」選ばないと思うし。
「お年寄は大切に」っていうのは、「優しくすべきタイミングや手を差し伸べられる事があればやってみなさい(トシヨリは絶好のカモだぞ)」という意味であって、トシヨリ本人が優しさを強要する物ではないので勘違いしないで欲しいと父を見て思いました。